




■〈無点〉大坂進状・返状〈尊円流〉[大坂進状・同返状]元禄頃 往来物
【判型】大本1冊。縦266粍。
【作者】不明。
【年代等】江戸前期(元禄頃)刊。刊行者不明。
【備考】分類「往来物」。『〈無点〉大坂進状・返状〈尊円流〉[大坂進状・同返状]』は、「大坂状」の本文を6行・無訓で記した古状単編型往来。底本は、他の「大坂状」に記載されている差出人や宛名人を朱筆するほか、巻末に「宝永六年」の書き入れがある。大坂状」は、大坂冬の陣の開戦にあたり、徳川家康が豊臣秀頼に送った挑戦状としての「大坂進状」と、秀頼から家康に宛てた受諾状としての「同返状」という2通の擬古状から成る往来物。寛永2年正月書『古状揃』に含まれており、かなり早くから成立していた模様だが、現存する初期刊本に江戸板が多いことから、あるいは江戸で先に出版されたものか。文中に「家康表裏侍」など、当時としては不穏当な文言が見えるものの、草双紙の取り締まりが厳しくなる江戸後期に至っても引き続き同じ文句が載せられており注目される。丹和浩『近世庶民文化と出版文化』によると、まず享保7年11月の出版令により、「権現様之御儀」すなわち家康および徳川家に関する出版や写本が禁止されたが、これは書物問屋仲間に向けられたものであり、多くの往来物を手掛けていた地本問屋に対するものではなかったため、それ以後もこの文言を残したまま刊行されていたが、寛政2年に草双紙屋絵双紙屋仲間が再編成されると地本問屋も規制の対象となり、「家康」の名を記した「大坂状」は皆無となった。なお、宮武外骨が『筆禍史』で慶安2年『古状揃』が絶版のうえ板元の西村伝兵衛が斬首刑に処せられた事件についてはこれを裏付ける明確な根拠がなく疑問視されている。
★原装・題簽付・表紙傷み補修、本文概ね良好。稀書(全国に所蔵数カ所(国文学研究資料館DB))。