






■御城落状[御上洛式・宇治川状・公時状ほか]稀書往来物
【判型】縦長本1冊。縦279粍。
【作者】作者不明。
【年代等】明治28年4月書。
【備考】分類「往来物」。全冊通常収録した。『御城落状[御上洛式]』は、収録順に「宇治川状」「時宗状」「曽我状・同返状」「公時状」「御城落状(御上洛式)」「佐々木状」「梶原讒言露顕状」「義経含状」「菅原親王願書」「長田状」を収録した手習本。「宇治川状」は、古来より急流で知られる宇治川をめぐる源平合戦の伝承などを綴った往来物。「頼朝公よりの御誤には、彼宇治川を渡而見むとの御誤也…」と筆を起こして、この宇治川での合戦で多くの武将・名馬が先陣を競ったが、「西国一之大川に而、二丈余りに水早」いこの川に苦難を強いられたことなどを記す。「時宗状」「曽我状・同返状」は、仙台板などで流布した往来物で、しばしば合本されて刊行された古状短編型往来物で、「時宗状」は、源頼朝から曽我五郎時宗に宛てた書状、また「曽我状・同返状」は、梶原平三景時から曽我太郎に宛てた書状を装ったもの。「公時状」は、源頼光の郎党「四天王」の一人・坂田金時(公時)の生い立ちと生涯を綴った古状単編型往来。「爰自古勇将猛士多中、忝源氏正統摂津守頼光執権坂田公時者、輪廻離山姥子也…」と起筆して、幼少の頃から怪力で知られて「快(怪)童丸」と呼ばれたことや、成長した金時が足柄山中で頼光と出会ってからのいきさつ、また、数々の戦功や勇猛ぶりなどを述べる。「御城落状」は、寛永11年6月、徳川家光上洛時のあらましを記した往来物。刊本の「御上洛式」とは異同があり、「今度将軍家光公御下落ニ付、関八州・出羽・奥州・越後・越中六拾弐ヶ国大名・小名、御旗本仰江戸御供之次第、先、一番ニ寛永十(一)暦六月二日、松平陸奥守・同子息越前守…」で始まるもので、書名は内容から「御上洛式」が本来と思われる。「佐々木状」以下は刊本とほぼ同内容の往来物である。いずれも本文を6行・稀に付訓で記す。
★原装・状態概ね良好。稀書(全国に所蔵数カ所(国文学研究資料館DB))。