サウス・ロンドン現代ジャズ・シーンの最重要ギタリスト/シンガー・ソングライター、オスカー・ジェローム(Oscar Jerome)が2020年にリリースした待望のデビュー・アルバム『Breathe Deep』の解説です。

アーティスト背景と作品の位置付け
トリニティ・ラバン音楽院でジャズを学び、9人組アフロビート・バンド「Kokoroko」のギタリストとしても活動してきたオスカー・ジェローム。本作『Breathe Deep』は、単なるジャズの枠に収まらず、ヒップホップ、ソウル、アフロビート、ファンク、オルタナティヴ・ロックの要素を緻密に練り上げた彼の名刺代わりとなる傑作です。

音楽的・サウンド面の特徴
テクニカルかつグルーヴィーなギターワーク
ジョージ・ベンソンやウェス・モンゴメリーの系譜を感じさせる洗練されたジャズ・ギターのニュアンスに、グランジやポスト・パンクを思わせる鋭いエフェクト・サウンドや泥臭いファンク・グルーヴをクロスオーバーさせています。

ロンドン新世代ジャズ陣の豪華バッキング
キーボードのジョー・アーモン・ジョーンズ(Joe Armon-Jones)、ドラムのトム・スキナー(Sons of Kemet, The Smile)、Kokorokoのホーン隊(シーラ・モーリス=グレーら)など、現代サウス・ロンドン・シーンのキーマンたちが結集し、厚みのある肉厚なセッションを展開しています。

テーマとリリック
タイトルの『Breathe Deep(深呼吸する)』が示す通り、めまぐるしく変化する現代社会における精神的自省、環境問題、制度的差別、自己のメンタルヘルスといった社会的・内面的なテーマが扱われています。自身のメロウで哀愁を帯びたボーカルとスポークン・ワード(語り)を交えながら、政治的な批判精神と個人的な祈りを同次元で表現しています。

主要トラック
Sun For Someone
気候変動や人間のエゴに対するメッセージを込めた楽曲。力強いドラムと軽快なギターリフ、メロウな鍵盤が交錯するミディアム・ファンク。

Give Back What U Stole From Me
富の再分配や歴史的な搾取に対する抗議の意をタイトルに込めたトラック。強靭なベースラインとホーンセクションのグルーヴが印象的。

Your Saint (feat. Brother Portrait)
詩人Brother Portraitをフィーチャーした楽曲。難民問題やアイデンティティを題材に、緊張感のあるアンサンブルとスポークン・ワードで聴かせる重厚なナンバー。
Timeless (feat. Lianne La Havas)
シンガーのリアン・ラ・ハヴァスを迎えたトラック。静けさとダイナミズムが同居するアンサンブルの上で、二人のボーカル・ハーモニーが美しく際立ちます。

サウス・ロンドン・ジャズの熱気とUKソウルの洗練、そしてDIYなインディー・ロックの精神が見事に結実した、2020年代クロスオーバー・ジャズの必聴盤です。

サウンド・デザインのディテール:ジャズの即興性とオルタナティヴの生々しさ
『Breathe Deep』のサウンドトラックは、クリアに整えられた現代的なジャズ・プロダクションとは一線を画す、ライブの汗ばむような臨場感とラフなエッジを持っています。

ダイナミクスの極端な振れ幅
静寂で繊細なアコースティック・ギターのアルペジオから、突如としてディストーションが歪む激しいアンサンブルへと展開するドラマティックな展開が特徴です。「Draggin' My Heels」や「Gravitate」などの楽曲では、ポリリズムを基調とした緻密なドラムと、フリー・ジャズ的な混沌としたホーンの応酬が圧倒的なカタルシスを生み出します。
ソングライティングにおける「歌」のウェイト

同世代のトム・ミッシュ(Tom Misch)やジョーダン・ラケイ(Jordan Rakei)らと同様に、インストゥルメンタル主体のジャズ・ギタリストとしてではなく、シンガー・ソングライターとしての佇まいを重視しています。彼の声は飾り気がなく生々しく、だからこそリリックのメッセージ(政治的抗議や自己の脆弱さ)が直接聴き手に刺さります。

サウス・ロンドン・コミュニティの「横のつながり」
本作は単なるソロ・アルバムではなく、2010年代後半から急速に盛り上がったロンドン新世代ジャズ・シーンのハブ(拠点)としての性質を帯びています。

Kokorokoでの経験とアフロビートの血脈
オスカーが参加していたアフロビート・バンド「Kokoroko」のメンバーをはじめ、多くのプレイヤーが録音に参加しています。単なる技術的なサポートにとどまらず、西アフリカのハイライフやフェラ・クティ直系のアフロ・グルーヴが、ロンドンの都会的な都市感覚と混ざり合う独自のアプローチを支えています。

詩人やゲストとの対話
サウス・ロンドンのアート・コレクティブ「Steam Down」周辺の重要人物でもある詩人・ラッパーのBrother Portrait(ブラザー・ポートレイト)をフィーチャーした「Your Saint」は、ポエトリー・リーディングとジャズ・ロックが交錯する最高峰のトラックです。難民問題や他者への偏見といったテーマが、音楽的実験とともに語られます。