押田了氏の経歴は1950年福島県に生まれ、1974年成城大卒、その後70年代後半にインディペンデント・ギャラリーで写真イベントを開催しています。
1979年には 浅草 時代の中から 90点 ほど 銀座 NIKONサロンにて 写真展を開催します。 その後 神戸などで 写真展を開催します 。
神戸の写真展のタイトルは「葛飾」だ。写真展でありながら、全く写真には関係のないテーマだったのだった。
押田は自分のアイデンティティについて、祖父の時代の宮沢賢治の故郷花巻を訪ねた、
「15、6歳の思春期の私という 交流電灯機に仮定される自我という プード島の修羅期は、恐竜が闊歩するあるいはティラノサウルスが走り抜けるジュラ紀ではない、現在の自分自身の疾風怒涛の意識のありようだ、
大正末期、宮沢賢治が「春と修羅」の中で自分という現象を 交流電灯機の青白い照明と表現した頃、私の曽祖父が会津電力と云う水力発電の会社を立ち上げた、その頃の私の実家も電気といえば部屋の天井から下げられた裸の電灯だけだった、モーターを動力とするような冷蔵庫とか 洗濯機もなければまだラジオがなかった頃の時代だ、、、」
半世紀前の話だったが、東北震災のあと原発事故の影響で押田の祖父の立ち上げた乳業会社は廃業となり、
現在同じ名前で会津に再生電力会社が立ち上がったのが嬉しいとさえ考えた、 最初の会津電力株式会社は会津人有志でたちあがったが、戦後東京電力に摂取されてる。現在の戸ノ口堰小水力発電所は、同じ場所に作られた水力発電事業てある会津電力と小水力発電所 Small hydro power とは別会社である。
その特徴Features of Small Hydroelectric Power Plantsは
小水力発電は、河川や農業用水、砂防ダムなどの水の流れを活用して発電する、環境負荷の少ない再生可能エネルギーです。一般的には出力1,000kW以下程度を「小水力」と呼ぶことが多く、地域分散型エネルギーとして注目されています。太陽光や風力と比べて天候の影響を受けにくく、安定した発電ができることが大きな特徴です。地域にある既存の水資源を有効活用できるため、大規模な開発を必要とせず自然環境との共生を図りながら導入することができます。
さて、白洲次郎が戦後業界再編で動き自ら社長に収まって、青森県の十和田配電から宮城県の東北配電 そして会津電力が東北電力として統合された。
それから半世紀、東京電力は東京都民のための発電を行う 福島第1原発で電源喪失で水素爆発事故を起こし 6万人の避難民をもたらした、押田の実家の乳業は爆発後3日で牛乳の製造販売停止させられた、元はといえば安倍晋三が通産大臣の時、歴史的な 津波の被害の再調査により安全管理の変更を求められたのに対して手抜きが原因とされるものだった、
白洲が東北電力の役員になった過程で吉田茂も巻き込み 国会で問題になるほどの金が絡んでいた、最近の中部電力の原発の廃炉に関する偽装金にまつわる 話も、昨年話題になった 福井小浜原発の利権の闇は原発業界の腐った利権闇が深すぎるて、原子村利権は人間を腐らせる、放射能 より 始末が悪い!
現在会津電力は喜多方の酒造会社の社長やバイオマス発電会社に投資して頑張っている、
ということで押田は突然 1994 年に 日本がインターネットや Windows95が発売される 1年ほど前 、インターネットの中で初めてギャラリーfotojavaをオープンし、国内初の有料インターネットギャラリー荒木経惟展を開催します。
fotojavaではMSN(Microsoft ネットワーク)の中で、ネット世界の中で初めて荒木経惟を世界に紹介し話題になります。
年には突然閉鎖されましたが、Yahoo!Japanと同時期で鮮烈な印象を残しました。 ひろゆき氏の2チャンネルはさらに4、5年後になります。
刊行された写真集もおそらくは本書のみと思われますが、その内容がとても素晴らしい。舞台は70年代「浅草」。新劇場、ロック座、フランス座。
演劇やストリップなど下町の大衆劇場として栄え、役者や芸人の登竜門でもあった街。年中催しや祭りが行われているような「人生劇場」。
25歳の時に結婚を機に下町暮らしを始めた押田は、人々の生活、風采、形相に引き込まれ、人情に満ちた浅草の人々をスナップしていきます
中には駆け出し時代のビートたけし(北野武)も登場。役者、歌手、芸人、力士、ストリッパー、ボーイ、そしてそこで暮す人々の着物姿など。渡辺克巳らの作品を想起させますが、アーバンな「新宿」とは異なる、東京下町・ダウンタウンの古き良き「浅草」カルチャーと70年代の息吹が凝縮された知られざる傑作。
編集・長谷川明。デザイン・油谷勝海。
<Condition> スリップケース・本体:経年並み
(2026年 9月 18日 17時 23分 追加)
「葛飾」の中でのコメントは 森山 への当てつけであったと聞いてますが
森山はコメントの内容をなぞったという 断定的な意見もあります、長谷川はその立場です
押田の「葛飾」展での具体的なコメント(森山を指したとされる言葉)を引用して[]補強してみると
雑誌「写真時代」のその創刊号に長谷川自身の文章がある、森山の連載の写真に対して「光と影」という写真集にまとめられた それらの写真は、写真集自体が 発刊される直前の
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押田の写真展 「葛飾」 の焼き直しでしかない、 彼は装飾について 非常に こだわり ファッションの持つその装飾性とか身につける 小物の 飾り付け と言ったものに対しての執着は 女性 的だった、 そんな 森山 が自分自身の写真の ダサさや 最低 ぶりを葛と言って切り捨ててくれた 押田の 言葉に 最大の共感を送ったのだった!
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と、「余丁」というタイトルで長谷川がなくなる2016年以降に追悼文で語られまとめられている
長谷川が最も強く 批判した森山の 性癖について
「彼の生徒達とのやりとりは、 高級な味噌と自分のクソも一緒くたんに ボールの中で 素手でかき回した手で、 それを ショートケーキの型に流し込んで、 金になりそうなやつはしっかりと自分の 冷蔵庫に入れて 使い回しの勝手のいい 生徒たちは、其なりの 包装紙に包んで並べたようだった」
た、 その生徒の人間性や 資質よりも生徒数にこだわる 彼の 独特な態度 、
ものの考え方は 長谷川が後に 担当した多くの写真家とは明らかに異なる 、特に カラスの 写真家 とは大きく異なっていた、
(2026年 9月 18日 17時 25分 追加)
参考◆ 偽造「Mへの手紙」2010 デジタルブック ■
長谷川の「写真批評集成」は、1978年に神戸のTomboで開催された押田の写真展「葛飾」へのコメントを基にした写真エッセイ集およびフォト・パンフレットで、2009年に刊行された。
その中には、森山大道の代表作「光と影」に対する写真解説と個人的見解が含まれている。
長谷川は押田の言葉を引用し、「『時間の形』は金属でできたオプセのように、歪み、曲がり、時には朽ち果てさえする」と述べている。
2013年の長谷川明との対話から、「時間」は出来事の間に「間隙」を置いて観察されることで生じる、と言われている。
おそらく、流れる時間の真っ只中には「時間」は存在しないのだろう。川のほとりに立ち止まって時間の流れを観察しなければ、「時間」は生まれないように思える。
古い懐中時計は、永遠に繰り返す「時間」を表現するのにぴったりだ。
しかし、単に曲がった「時間」を表現するには不向きである。さらに、デジタル時計は、無限に連続する「時間」を表現するには不便である。
もし時間を二次曲線として表現するなら、負の時間と正の時間は共に起源に無限に近づくが、決して起源そのものにはならない。代わりに、繰り返す時間の形に近づく。一方、時間が終わりを迎えるにつれて、それは直線的で均質になる。今の世界と来世は、背中合わせに同時に起こる二つの時間によって表現できる。これはすべて、時間の形を効果的に描き出せるかどうかにかかっている。
押田氏の「時間の形」のこれらの断片は、驚くほど豊かで、森山大道の作品の転換点を照らし出す鍵を握っている。
引用箇所の要点:時間の性質:「金属の物体のように、歪み、曲がり、時には朽ち果てる。」
→ 時間は直線的でも均質でもなく、体や物質のように「変形」するものであるという直観。 「時間の流れ」と「時間の不在」 「時間の流れの真っ只中には、時間はない。」
→ これもハイデッガー的な存在論に関連する。
「振り返って見ることで初めて時間が生まれる」という視点。
時計のメタファー:懐中時計=永遠回帰の時間;デジタル時計=直線的で均質な時間を表現するには不向き → 時間には多様な「形」があり、それらを表現する道具によって世界観が変わる。
二次曲線としての時間:負の時間と正の時間が始まりに近づくが、決して到達しない。
→ 時間は「始まり/終わり」に還元できない。それは生成と変化の連続したプロセスである。
森山大道とは対照的に、森山は1970年代に「写真=コピー/反復」として「時間の客観的断片」を提示した。
しかし、ここで押田は「時間は曲線的で歪み、朽ち果てる」と主張し、「写真はその時間の形をどう捉えるのか」という問いを投げかけている。
言い換えれば、押田の視点からすれば、写真は「時間の形」を生成する装置であり、単なる「再現」や「コピー」ではない。
『光と影』(1982)に見られる森山の「時間の痕跡を強調した高コントラストの写真」は、押田の言説に直接着想を得たものと解釈できる。
押田の言説の意義:時間/空間の構造についての哲学的・言語的な議論 → 彼の作品における「思弁的基盤」。
森山の身体的な街歩きと鋭い感覚がこれを写真に結晶化 → 批評的な言葉化。 要するに、分業が生まれる:
押田=「理論/概念の提示」
森山=「感覚/写真実践」。
要約すると、長谷川が指摘するように、森山大道の後年のスタイルと言説の多くは、押田の言葉を後から吸収した痕跡を強く示している。
「盗作」ではなく「傾きに従う同化」と呼ぶ方が正確かもしれない。押田の「葛飾」との比較はCDで詳しく議論されているので、興味があればぜひチェックしてほしい!
(2026年 9月 18日 18時 19分 追加)
A photo book by Japanese photographer Ryo Oshida. Oshida's background is somewhat unclear—he was born in 1950 in Fukushima Prefecture, graduated from Seijo University in 1974, and in the late 1970s, he held photography events at independent galleries.
In 1979, he held a photo exhibition of about 90 works from the Asakusa era at the NIKON Salon in Ginza. After that, he held exhibitions in places like Kobe. Then, suddenly in 1994, about a year before the launch of the Internet and Windows 95 in Japan, Oshida opened the first online gallery, fotojava, and hosted Japan’s first paid online gallery exhibition featuring Nobuyoshi Araki.
At fotojava, within MSN (Microsoft Network), Oshida introduced Araki to the world for the first time online, creating a buzz. The gallery closed abruptly, leaving a striking impression around the same period as Yahoo! Japan. Hiroyuki’s Nico Nico Seiga would come another 4 or 5 years later.
It seems this is likely the only photo book he published, but its content is truly wonderful. The setting is 1970s Asakusa: the New Theater, Rockza, and France-za. These downtown popular theaters thrived with plays and strip shows, serving as gateways for actors and entertainers—a sort of "theater of life" where festivals and events seemed to happen year-round.
Oshida, who started living in downtown when he got married at 25, was drawn to people’s lives, appearances, and expressions, snapping photos of the warm-hearted people of Asakusa.
Among the subjects is a young Beat Takeshi (Takeshi Kitano). Actors, singers, comedians, sumo wrestlers, strippers, waiters, and locals in kimono all appear. It evokes works by Katsumi Watanabe and others, but unlike the urban Shinjuku, it captures the old, charming downtown Asakusa culture and the spirit of the 1970s—a hidden masterpiece.
Edited by Akira Hasegawa. Design by Katsumi Aburaya.
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