GREAT BRITAIN Charles II 2Guineas

非常に心地よい琥珀色に美しい輝きを放ち、視覚的な魅力に溢れたこのコインは、NGC社の鑑定枚数も少なく、非常に稀少です。
NGLISH GOLD COINAGEではレア度R1となっています。

金属: ゴールド
重量: 16.7g
直径: 31mm

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チャールズ2世 ゴールド 2ギニー 金貨 1682 イギリス 英国 古銭 アンティークコイン GREAT BRITAIN Charles II 2Guineas - YouTube

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【チャールズ2世】
在位:1660年5月29日 - 1685年2月6日(イングランド王)
在位:1649年1月30日 - 1685年2月6日(スコットランド王)

10才でプリンスオブウェールズに叙位。父王チャールズ1世と議会が対立し内戦に発展、チャールズ1世は処刑された。その後、苦難の末王位を奪還。
陽気。妾が沢山いる。チャールズ2世はイギリスを擬人化した女神ブリタニアのメダル制作を指示。以降イギリスコインに描かれるようになった。ブリタニアのモデルは多数いた妾の内の1人。
正室の王妃キャサリン・オブ・ブラガンザとの間に子供がおらず、弟がジェームス2世として即位する。



参考:
第111代 後西天皇 (在位:1654年- 1663年)
第120代 霊元天皇 (在位:1663年- 1687年)


1660年 イギリス王政復古
1666年 ロンドン大火


【チャールズ2世】詳細

チャールズ二世は、1630年チャールズ一世と王妃でフランス王アンリ4世の娘ヘンリエッタ・マリアの次男として生まれる。フランス王ルイ14世は母方の従兄で、イングランド王兼オランダ総監ウィリアム3世は甥にあたる。
清教徒革命の危険が高まったため、1646年に母達とフランスに亡命し、1648年に義弟のウィリアム二世を頼ってオランダのハーグに住んだ。革命に反対するスコットランドは1949年2月5日、チャールズをスコットランド王として推戴すると宣言したため、6月にスコットランドに上陸、1651年1月1日にスクーンで正式に戴冠式を挙げた。
1658年にクロムウェルが死去すると、息子のリチャード・クロムウェルが後を継いだが、混乱を収拾できずに1659年に辞任。スコットランド駐留軍の司令官の指示によりチャールズら正党派と連絡をとり復帰を要請した。これを見てチャールズは、ブリュッセからオランダのブレたに移り、4月4日にブレダ宣言を発して復位を提案。この宣言が選挙で王党派が多数派になった仮議会に受諾され、チャールズはロンドンに入城してイングランド王チャールズ2世となった。

1661年の婚姻条約により、1662年、ポルトガルのブラガンサ王朝の初代国王となったジョアン4世のカタリナと結婚。あまりの艶福家だった王を見かねた殿医のドクター・コンドームが王のために牛の腸膜を使った避妊具を開発したのがコンドーム始まりというのは、広く普及した俗説で、そうした医師が存在したことを示す史料はなく、コンドームの原型もチャールズ2世の時代から約100年前に既に存在している。

日本との関係においては、当時の江戸幕府はかつての関係途絶が貿易不振によるイングランド側の判断によることや、チャールズ2世が幕府の鎖国政策の直接的なターゲットとして考えていた親カトリックのポルトガルから王妃を迎えていること、日本側にも第三次英蘭戦争の情報が伝わっており、戦争に巻き込まれる危険性があることを理由に1673年にリターン号を日本に派遣して、1623年以来途絶していた貿易関係の再開を求めることを拒絶した。1685年2月6日、死の床で自らがカトリックであることを告げ、息を引き取った。