第1世代メッキ初代はオーバル形状第1世代メッキ初代はオーバル形状ピカピカの後ろ姿は美しく輝いてますピカピカの後ろ姿は美しく輝いてます右テンプル刻印:インチ数「5」が3DX右テンプル刻印:インチ数「5」が3DX左テンプル刻印:インチ数「5」が3DX左テンプル刻印:インチ数「5」が3DX参考画像:1960年代のカタログ参考画像:1960年代のカタログ参考画像:1996年カタログ参考画像:1996年カタログ後年その姿形を変えたw1303の後年型3DX後年その姿形を変えたw1303の後年型3DX第1世代メッキ3DXの重量は37g第1世代メッキ3DXの重量は37g参考:奥金張り手前メッキテンプル刻印比較参考:奥金張り手前メッキテンプル刻印比較参考画像:金張り3DXフレーム裏側右端刻印参考画像:金張り3DXフレーム裏側右端刻印
これが1960年代製 初代オーバルレンズ 第1世代のオリンピアン3DXアリスタメッキモデル!

正真正銘初代3DXはオーバルレンズ!
サイズ56□18  レンズ縦幅36mm

1960年代末、1ドルが360円で大卒初任給が約4万円の頃、1つ80ドルから90ドルもするレイバンは、舶来品と呼ばれ高級品の上にさらに関税までかかる超高級品でした。

当時の金価格は安価で、米国B&L社はセルフレームのウェイファーラーが1950年代に全米で爆発的人気を博し、レイバン製品の販路拡大を進めていました。

1965年米国で最初の「OLYMPIAN」が発売開始となり映画イージー・ライダーでピーター・フォンダ氏が着用、1967年頃に日本国内で発売開始となる最初期オリンピアンは1/2/3が同時発売で、各モデルにはスタンダード(メタル+セル)とデラックス(フルメタル)の2タイプがそれぞれにありました。

この時、最初に日本国内に入荷したオリンピアン1/2/3各DXは、12K厚金張りモデルでしたが、その高額さゆえ店舗に並ぶことは稀有であり、カタログを見ての注文販売だったでしょう。当時実物を見た人は極一握り日本国内に出回ることなど皆無、目にする機会すらなかったと推測出来ます。

超高級品のレイバン製品は、日本国内で話題になっても売れず、当時オイルショック目前で物価は急上昇中インフレ状態! 高騰する「金」素材の見直しを推進していた米国B&L本社は、1960年代末に合金フレーム表面に電気メッキ処理を施し被膜塗装するアリスタメッキの技術開発に成功しました。

開発直後アリスタメッキモデル第1世代オリンピアン1/2/3の各DXモデルが日本国内へ入荷しますが、この時すでに12K厚金張りモデルのオリンピアン各DXモデルは、カタログ上その姿を消しておりました!

1970年頃ついに米国B&L本社は、日本国内販売戦略立て直しのため、すべてのB&L社製品を一時的に日本国内から撤収しました!

再び日本国内にB&L社レイバン製品が並ぶのは、1973年のオイルショック以降で、その時陳列されたレイバン製品に金張りモデルは1つもなく、メタルフレームはすべてアリスタメッキ製品、さらに庶民的な金額の販売価格になり、超高額な金張り商品は完全に姿を消したのです。

再入荷したメッキモデル第2世代オリンピアンDXは1DX2DXのみの入荷で、残念ながら3DXの姿はありませんでした。この時点で、3DXの存在は完全に忘れ去られ、多くの人々の記憶には、最初から1DX2DXしか存在していなかった、という誤った認識になったのではないかと推測します。

なぜ3DXの再入荷がなかったのか?

たぶん、サイズ的に小さいオリンピアン3DXは「女性/子供用」の扱いで、1DX2DXほど売れず不人気で早々と廃盤になったと推測します。
実際当方が米国サイトで3DXを入手した際、女性/子供用での出品でした。
さらに後年、3DXはなぜかデザイン変更、その姿形をガラリと変え、初期オーバル3DXは、完全に人々の記憶から忘れ去られ『幻』となったと確信いたします。

さて、再び販売された第2世代オリンピアン1DX2DXは、右テンプル刻印のみ(刻印は第1世代とまったく同じ)で左テンプルに刻印はありません!その理由は、メッキとなり金製品としての証は不要ゆえ、合理的作業削減理由からです。(ある意味手抜き!)

ただし、強化ガラス開発後で両レンズにBL砂打ちが入り、少し後から右レンズに白文字ロゴマークが入るようになりました。これが第2世代と呼ばれるオリンピアン1DX2DXメッキモデルです。(中には強化ガラス前のレンズで砂打ちの無いものがあるようですが素人には識別困難です)

当時の日本国内は、矢沢永吉さん人気から、在庫があればあるだけ売れる爆発的人気のオリンピアンでしたが、既に米国では生産中止になっていましたので日本国内の在庫が無くなります!

その対策として、B&L社日本法人では、2DX(1DXは日本人の顔には大き過ぎるから)のみを日本国内の工場で製造することにしますが、本国アメリカ本社からのライセンス供与はありませんでした!

この時製造された国産2DXが第3世代に該当しますが、第2世代品とは違い強化ガラス開発後ゆえ、必ず右レンズに白文字ロゴマーク、3時9時の定位置BL砂打ち、各テンプルに次の刻印があります。

左テンプル刻印・・・「Olympian Ⅱ DX」
右テンプル刻印・・・『B&L RAY-BAN』

右テンプル刻印に『USA』の文字が無いのは、米国製品として認められなかったためにほかなりません。

ライセンス供与は得られなくても製造は許可されました。しかし、砂打ちとレンズロゴの技術に乏しく、当時の日本の工場では製造出来ず、レンズだけは何とか米国本国からの提供を受けることが叶い販売するにいたります。

皆さんが1番見慣れた、馴染みのあるこの第3世代メッキ2DXは、米国製品ではなく、国産品にほかなりませんので、ある意味、日本限定製造販売品です。
(俗にジャパン2DXと呼ばれます)

ちなみにヨーロッパ輸出仕様現地製造品の刻印には「U.S.A.」の後に「LIC」の文字が付き、それがライセンス供与の証なのです。

そうさせなかったのは、Yellow Monkeyと日本を見下していたのでしょうか。

余談になりますが・・・
時々この第3世代国産2DXで、レンズ交換されたためレンズロゴも砂打ちも無いのをイイことに、1960年代製と大ウソ説明する偽物ならぬ嘘物を見かけます!この国産第3世代2DXは、前述の通りテンプル刻印に「USA」の文字が無い特殊なものゆえ絶対に見分けがつきます!製造販売時からレンズロゴも砂打ちも必ずありますので、皆さんインチキイカサマ説明をする悪徳出品者に騙されないようにね!

また、レンズが交換されてしまい砂打ちもロゴもないことをイイことに、砂打ち以前の製品だとか、1960年代の製品だとかの大嘘イカサマインチキ説明をする出品者がいます!現代物のタレックスやHOYAレンズでも平気で大嘘ブッこいてます!賢明な皆さんは、そんな悪徳出品者のデタラメ説明に騙されないようにお気をつけください!

おっと話を3DXに戻します!
後年参考画像のように3DXはその姿形を変えてしまった理由はわかりませんが、元々はオーバルレンズが真のオリンピアン3DX(メッキモデルも金張りモデルも)の姿なのです。

最初期第1世代のメッキオリンピアンモデルは、金張りモデル同様に左テンプル刻印がしっかりとありその刻印文字は逆さまにひっくり返ってはおらず(AOのように右テンプルを流用の手抜きはせず)画像の通り左テンプル専用に丁寧に打たれているのです!そんな丁寧なイイ仕事が、当時の世界最高峰の製品と評された由縁でもあるのです。

ちなみに『B&L RAY BAN U.S.A.5』の数字「5」はテンプルの長さのインチ表示
1DXは「43/4」、2DXは「51/4」

ブリッジ幅は次の通り(カタログ)
1DX18mm、2DX16mm、3DX18mm


最初期厚金張りモデルのオリンピアンDXの製造期間は、1965年〜1967年までの間であり、本当にわずかな期間しか製造されませんでしたが、メッキモデル第1世代オリンピアンが製造され日本国内に入荷したのは、さらに短い期間でしかありませんでしたので、おそらく金張りモデルよりも球数は少ないと言っても過言ではないでしょう。

現在、本国米国でも超珍品で滅多にお目にかかれません! 当然、日本でもその存在は知っていても、滅多にお目にかかる機会のないシーラカンス級のレア度を誇るオリンピアン3DXオーバル初期型モデルは、その製造期間の短さに製造個体数の少なさもさることながら、後年デザイン変更により姿形をガラリと変えてしまった幻のモデルなので、数あるB&L社RAY-BAN製品の中でも、間違いなくベスト3に入る超レア度の高い幻の逸品です。

金張りモデルとの違いは、その「5」以降の金製品表示『1/10 12K GF』の有無と本体フレーム裏側右端部分の金製品刻印の有無だけです。見た目だけではメッキか金張りかは判別出来ず、この刻印の違いでしか区別はつきません!

(2024年 4月 30日 23時 19分 追加)
【追加画像】9枚目10枚目
1/10 12KGF金張り3DXとの左テンプル刻印比較と1/10 12KGF金張り3DXの本体フレーム裏側右端刻印の各画像を追加しました。