210 x 63 センチ (全体) 125 x 49 センチ (本紙)
軸先:骨
※全体サイズは表具の端から端のサイズです。軸先部分は含みません。
※商品・軸先の状態につきまして下記【重要なおしらせ】項目をご一読お願いいたします。 紙本(印刷ではなく、描かれている作品です。) 極箱 (酒井抱一) 極書 (鈴木其一) 二重箱 太巻
【俵屋宗達】1570?-1640? 江戸前期の画家。能登あるいは加賀生。名は以悦、伊年・対青軒等の印章を用いた。京都の豊宗寺に住して永徳画法・古土佐骨法を会得し、光琳派の先駆となる。烏丸光広・本阿弥光悦らと交際があった。寛永20年(1643)歿と伝えられる。
【酒井抱一】1761-1829 江戸時代後期の絵師、俳人。権大僧都。本名は忠因、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真。鶯村、軽挙道人、雨華庵とも号する。浮世絵師としての名前は、杜陵あるいは屠龍と称し、狂歌での名前は、尻焼猿人と称している。姫路藩主・酒井忠以の弟。 法名は等覚院文詮暉真。江戸時代後期の絵師、俳人。権大僧都。本名は忠因、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真。鶯村、軽挙道人、雨華庵とも号する。浮世絵師としての名前は、杜陵あるいは屠龍と称し、狂歌での名前は、尻焼猿人と称している。姫路藩主・酒井忠以の弟。 法名は等覚院文詮暉真。
【鈴木其一】1796-1858 名は元長,通称為三郎,字は子淵,号に必庵,庭柏子,錫雲,為三堂,祝琳斎,青々。紫染を家業とする江戸の町家に生まれ,文化10年酒井抱一に画才が認められ,内弟子となる。同14年同門の鈴木藤兵衛(蠣潭)が急死したのち,鈴木家の家督を継いで抱一付きの酒井家の臣となる。40歳前後より師風を脱し,特有の色感と形態感覚および奇抜な発想と大胆な構成とによって独自の世界を形成する。幕末期江戸のやや退廃的市民感情を共有しつつも,写実的な自然描写と装飾性との新たな調和を目指した作品には,明治期の日本画へと繋がる新鮮な内容もみられる。
※付属品につきまして 商品は画像に写っている物が全てになります。 木箱、タトウ箱などの有無につきましても画像をご覧いただき御判断お願いいたします。
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