いざ、超宇宙ロケット「AAB-ジャガー号」が勢いよく発射! 地球の重力圏を脱出した直後、突如として放射線数値が跳ね上がる。彼らの前に姿を現したのは、例の「過去6回の探査機を全滅させた悪逆無道なUFO」だ。
しかし、画面に映し出されたそのUFOの姿を見て、観客の誰もが我が目を疑うことになる。金属的なメカニック感など微塵もない。それはどう見ても……「自我と敵意を持ったホステス社のフルーツパイ」、あるいは「宇宙を漂う巨大な光る発酵パン」にしか見えないのだ!
この有機的かつ不気味な(そしてちょっとおいしそうな)UFOから発せられた謎の放射線アタックにより、AAB-ジャガー号の無線装置はあっさりノックアウト。過去の犠牲者たちの二の舞を演じるわけにはいかないと、佐野隊長は秒で回れ右を敢行! 命からがら月面基地へと緊急着陸を果たすのだった。
【第二章】月面基地のハッピーアワー! 宇宙規模の泥沼愛憎トライアングル
命からがら月面基地に逃げ帰ったクルーたち。普通であれば、直ちに上層部へ怪現象の報告書を提出し、緊急防衛態勢を敷くのが危機管理というものだろう。
しかし! 本作『宇宙大怪獣ギララ』は、ここで映画史に残る大胆すぎるレフトターンを切り出す。
危機感の完全放擲(ほうてき)である!
彼らは報告書を書くどころか、月面基地に到着するやいなや、最先端のハイカラな私服に着替え、基地内のオシャレなバーラウンジへと繰り出していくのだ。BGMには軽快でポップなラウンジ・ジャズ(泉政司による珠玉のスコア!)が流れ、宇宙飛行士たちはマートニーをあおりながらダンスに興じる。さっきまで宇宙の闇で死にかけていたことなど、影も形もない!
そしてここで展開されるのが、物語の本筋を完全に食ってしまう勢いの「宇宙規模のドロドロ恋愛三角関係」である!
錯綜する月面基地の人間関係図
リサ博士 → 佐野隊長: 隠す気すらないオープンな熱視線と猛烈アタック。
佐野隊長 → 道子(演:原田糸子): 月面基地の女性オペレーター・道子にひそかな想いを寄せる。
道子 → 佐野隊長: 佐野が好き。しかしリサが常に佐野の隣にベったりくっついているため猛烈に嫉妬し、佐野に対してツンツンした態度をとってしまう。
観客の心の声: 「リサ、もしかして道子のことも気になってないか……?」
この「誰が誰を好きなのか、全員のベクトルがすれ違いまくっている」メロドラマが、宇宙の存亡を賭けたミッションの合間にタップリと尺を使って描かれるのである。二本松監督の「怪獣よりも人間ドラマ(泥沼)を描きたい」という執念すら感じるこのシークエンス。観客は一瞬、自分が怪獣映画を観ているのか、昭和の昼ドラを観ているのか分からなくなるというカタルシスを味わうことになる。
【第三章】謎の胞子とスペース・ウォーク! 危険すぎるサンプル採取
ジャガー号の修理が完了し、いざ再出発。しかし、前回の放射線照射によって重度の「宇宙酔い」にかかってしまった塩ワタ医官に代わり、急遽シュタイン博士(演:マイク・ダニーン)が搭乗することに。
このシュタイン博士がまた素晴らしいキャラクターなのだ。不平不満のデパートである。「なぜ私がこんな危険な目にあわねばならんのだ!」「狭い!」「寒い!」「居心地が悪い!」と、火星に着くまでの全行程で文句を垂れ流し続ける。
そんなシュタインの愚痴攻撃にクルーが耐えていると、またしてもあの「フルーツパイ型UFO」が襲来! 佐野隊長の必死の回避運動も虚しく、UFOが引き寄せた隕石群が船体を直撃。減圧パニックに陥ったシュタイン博士は、恐怖のあまり佐野隊長を突き飛ばしてブースターを暴走させてしまう。
結果としてUFOの追撃からは逃れられたものの、燃料を使い果たしたジャガー号は、漆黒の深宇宙へと漂流を始めるのだった……。
絶体絶命の漂流状態の中、宮本隊員がバッテリーが切れる前に無線を修理しようと孤軍奮闘する横で、佐野隊長とリサ博士は宇宙服に身を包み、船外活動(スペース・ウォーク)を開始する。
UFOが船体に接触したまさにその場所に、怪しげな物体がこびりついていたのだ。
ここで画面に映し出される付着物のビジュアルについて、筆者は多くを語らない。……あえて言うならば、「宇宙の深淵から飛来した不気味な白い粘着性の斑点」とでも表現しておこう(各自、頭の中で察してほしい!)。
リサ博士はその粘着物の中に埋もれていた、美しく怪しく光る球状の「胞子(スポア)」を発見。
リサ博士:「これは未知の地球外生命体の胞子だわ! 持ち帰って分析しましょう!」
……素晴らしい。科学者としての探究心は認める。だが、過去6回も全滅し、今回も謎のアタックを受けて命からがら逃げている最中に、「原因不明の謎の光る卵」を素手で採取して船内に持ち込むという、バイオハザード対策ゼロのこの大胆さ! 『エイリアン』のノストロモ号クルーも真っ青のノリの軽さである。
幸いにも、この胞子を専用ケースに封印した直後、奇跡的に無線が復活。富士宇宙飛行センターから救援艇(なんと道子が自ら燃料セルを届けてくれる!)が到着し、ジャガー号は火星の匂いを嗅ぐことすらないまま、堂々と地球へと帰還を果たしたのだった!
ブラボー! ミッション大成功(?)である!
【第四章】巨大チキンの足跡と、歴史上最も男前な「酒を飲みに行こう」
地球に帰還した一行。本来ならば厳重な検疫と孤立隔離措置が取られるべき局面だが、プロトコルなどという無粋な概念は我が富士宇宙飛行センターには存在しない。
加藤博士は、採取された胞子の簡易検査が終わるやいなや、全員に労いの言葉をかけ、こう宣言する。
加藤博士:「よし! 今夜は私の家で祝勝会だ! みんなで浴びるほど酒を飲もう!」
やっぱり酒か!!
月面基地でも酒、地球に帰っても酒! この映画の登場人物たちの行動原理の50%はアルコールで構成されていると言っても過言ではない。
カクテルグラスを傾け、祝杯をあげるパーティーの最中、一本の電話が加藤博士の自宅に飛び込んでくる。ラボからの緊急事態の知らせだ。
ラボの助手:「は、博士! 大変です! サンプルが破壊されました! なにかが床を破って……いや、床を溶かして逃げ出しました!」
現場に駆けつけた一行が見たものは、溶け落ちた実験室の床と、まるで巨大なニワトリが熱した鉄板を踏みつけたかのような恐ろしい足跡、そして破裂した「卵の殻」のような残骸であった。
さらに時を同じくして、基地全体を謎の停電が襲う。
ここで観客の誰もが確信するはずだ。「あの胞子から恐ろしい怪獣が孵化し、基地の電気エネルギーを喰らって巨大化し、外へ逃げ出したのだ」と!
しかし、我らがヒーローたちの思考回路は観客の斜め上を猛スピードで突き抜けていく。壊れたラボと足跡を前にした彼らは、首をかしげ、肩をすくめると、こう言い放つのだ。
「まあ、考えても始まらない。街へ出て飲み直そうか!」
嘘だろ!!??
念のために言っておくが、これは筆者の脚色でも何でもない。映画本編で本当に彼らは「酒を飲むために」夜の街へと繰り出しちゃうのである! 宇宙の脅威よりも、科学の謎よりも、目の前のアルコール。この徹底した享楽主義! これぞ昭和30年代〜40年代の高度経済成長期が生んだ日本人の底抜けのバイタリティ……なのか!?
だが、彼らが街の歓楽街に到着したその時! 近郊の谷間から、天を突くような爆発音と激しい炎が巻き起こる!
ついに、奴が目覚めたのだ。全宇宙を震撼させる、世界で最も愛らしく、世界で最も危険なあいつが——!
【第五章】松竹の苦悩と「怪獣映画」という狂乱のパラダイムシフト
ここで少し、映画の裏側に潜む歴史的背景について熱く論じなければならない。
1920年の設立以来、日本映画界のトップランナーとして君臨してきた松竹キネマ(現・松竹)。彼らは常に革新的であった。男役(形子)を廃止して本格的に女優を起用したのも、ハリウッド式の撮影スタイルを取り入れて日本初のトーキー映画(『マダムと女房』)を作ったのも松竹だ。
戦後の松竹といえば、清水宏の『蜂の巣の子供たち』(1948)、小津安二郎の不朽の名作『東京物語』(1953)、大庭秀雄の『君の名は』(1953)に代表されるように、哀愁漂うメロドラマや高品質な人間ドラマで観客の涙を誘う、いわば「大人のための格式高き映画会社」であった。
ところが、1960年代に入ると事態は一変する。
テレビの爆発的な普及によって映画館の観客動員数は激減。新東宝や大映は倒産の危機に直面し、日活や東映はヤクザ映画や過激な成人向け路線へと舵を切っていった。
そんな狂乱の時代の中で、松竹が生き残りをかけて選んだ道——それこそが、「ファミリー層をターゲットにした巨大怪獣映画への参入」だったのである!
だが、ここに大きな悲劇(あるいは喜劇)が存在した。
東宝には「特撮の神様」円谷英二がいた。大映には築き上げられた特撮スタッフのノウハウがあった。しかし、松竹には……本格的な怪獣特撮映画を撮った経験のあるスタッフが誰もいなかったのだ!
二本松嘉瑞監督に白羽の矢が立ったものの、彼はそれまで松竹の良質なドラマ畑で育ってきた人物。怪獣の撮り方など誰も教えてくれない。
松竹は破格の予算を投じた。フィッシャープライス社のおもちゃのようにポップで洗練された宇宙船のセット、やたらと広いコントロールルーム、ミッドセンチュリー風の豪華なバーラウンジ。プロダクションデザイン(美術)は非常に素晴らしい出来栄えであった。
……そう、怪獣が登場するまでは!
【第六章】大怪獣ギララ解体新書! 走れ、コメディ・アヒル! 踊れ、パルプ・フィクション!
さあ、満を持して登場していただこう。本作の真の主役、宇宙大怪獣ギララである!
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ 【ギララ(Guilala)の形態特徴】
/ ◯ ◯ \ ・頭部:エアロダイナミクスを無視した謎のアヒル頭
| ( 人 ) | ・アンテナ:ピコピコと怪しく揺れる左右の触角
\ `----' / ・胴体:プロレスラー並みに太い太ももとゴム質感
/ \ ・攻撃:口から吐き出す高熱プラズマ火球
/ /| |\ \ ・移動:なぜか腕を振って身軽に「跳躍(ジャンプ)」する
初めてギララを目にした時、全人類は言葉を失う。
そのビジュアルを言語化するならば、「バルジ(出っ張り)のある太ももを持ったゴム製のニワトリに、SF風のアンテナと、なぜか空力学(エアロダイナミクス)を意識したツルツルの頭部をくっつけた存在」としか言いようがない!
しかし、ギララの真に恐ろしい点(そして笑える点)は、その見た目以上に「映像演出の豪快な空回り」にある。
二本松演出が引き起こした「ギララの奇蹟」
高速撮影(ハイスピード撮影)の不使用: 通常の特撮映画では、巨大感を出すためにカメラのコマ数を上げて(ハイスピード撮影)スローモーションで怪獣を動かす。しかし二本松監督はそれをしなかった(あるいは出来なかった)! その結果、ギララは巨大怪獣であるにもかかわらず、等身大のスーツアクターがそのままのスピードでシャカリキに動き回ることになり、画面狭ましとピョンピョン跳びはね、コミカル極まりない動きで街を破壊していく!
アングルの固定(ローアングル欠乏症): 巨大感を演出するための「見上げる構図(ローアングル)」が圧倒的に不足しており、カメラは常にギララをアイレベル(正面からの平視)で捉え続ける。その結果、ギララが精巧なミニチュアの街を歩いているというより、「プラモデルの街の中に怪獣の着ぐるみを着たおじさんが入ってきた」かのような強烈なシュールさが全編を支配する!
池田博によるミニチュアと、無慈悲なおもちゃ感: 美術の池田博が手がけたミニチュア自体は非常に良く出来ている。しかし、撮影技術の不足により、ギララと戦う戦車、メーサー砲(のパチモン)、戦闘機などは、どうあがいても「子供部屋のおもちゃ」にしか見えない! (ここに本物のミリタリー資料映像でも挿入していれば少しは違ったのだろうが、そんな野暮な補強をしないのが松竹の男気である!)
【第七章】中盤の狂乱! 東京を目指す怪獣と、無力すぎる人類の抵抗
映画の中盤は、まるまるギララの日本大暴れシークエンスに費やされる。
エネルギーを求めて発電所や変電所を襲撃し、電力を吸い上げては口から恐ろしいプラズマ火球を吐き出すギララ。ターゲットはもちろん、怪獣たちの聖地・東京だ!
自衛隊の砲撃も、ミサイルも、最新鋭の光線兵器も、ギララの前には無力。ギララはエネルギーを喰らえば喰らうほど元気になり、まるでディスコで踊り狂うダンサーのように体を揺らしながら、建物を踏み潰し、炎の海を作り出していく。
この中盤の破壊劇は、理屈抜きで面白い!
重量感がない? テンポが良すぎる? 結構じゃないか! ここにあるのは、純粋な破壊の喜びと、ゴムスーツ・メイヘム(狂乱)の宴だ。
しかし、防衛隊の全滅によって人類が絶望の淵に立たされた時、物語を打開するのはやはり、あの恐怖の胞子を宇宙から持ち帰ってきた「元凶」たちであった。
【第八章】お尻からひねり出した(?)奇跡の物質「ギララニウム」
自衛隊が手も足も出ない中、生物学者のリサ博士が猛烈なひらめきを見せる。
壊れた胞子の殻を分析していた彼女は、突如として「解決策」をそのお尻から……いや、脳裏から引っ張り出してきたのだ!
リサ博士:「分かったわ! この胞子の成分である新物質『ギララニウム』は、ギララのエネルギー吸収能力を遮断する効果があるの! ギララニウムを浴びせれば、ギララは元の胞子の姿に戻るはずよ!」
なんという都合の良い発見!!
しかし、地球上でギララニウムを大量合成するためには、宇宙の「完全なる真空」が必要不可欠であるという。
かくして、AAB-ジャガー号のクルーたちは再び月面基地へ飛び立ち、真空ラボでギララニウムの合成に着手。見事に試作品の製造に成功する!
しかし、帰り道でまたしてもトラブル発生!
UFOの再襲撃: またしてもあの「フルーツパイ型UFO」が現れ、ジャガー号を攻撃! (結局このUFOが何者だったのか、なぜジャガー号に卵を産み付けたのかは劇中で一言も説明されない。「地球人、俺の縄張りに足を踏み入れるな」という火星の地上げ屋だったのだろうか?)
不適切な保管による機器障害: 慌てて合成したギララニウムの保管が適当だったため、その強力な磁場(?)がジャガー号の計器を狂わせ、船は再び地球周回軌道で漂流状態に!
ここでピンチを救ったのが、月面基地のオペレーター・道子だ。
道子:「ギララニウムを原子炉室へ移動させなさい! 原子炉の放射線シールドなら磁界を抑えられるわ!(※ただし原子炉が爆発しなければね!)」
一か八かがすぎる!!
だが、このギャンブルが見事に成功! ジャガー号は無事に地球の富士宇宙飛行センター(FAFC)へと帰還を果たす。
【第九章】クライマックス! 泡まみれの怪獣と、男たちの決断
時を同じくして、原子力発電所のエネルギーに引き寄せられたギララが、ついに富士宇宙飛行センターへと迫っていた。FAFCは絶体絶命のピンチ(S.O.L.=Shit Out of Luck)に陥る!
合成されたギララニウムムムミヌムム(言いにくい!)は、直ちに自衛隊の戦闘機ミサイルの弾頭に装填される。
しかし、ジェット機が離陸準備を整える前に、ギララはすでに基地の目と鼻の先まで迫り、施設を次々と破壊していた。
ここで佐野隊長と宮本隊員が命がけの囮(おとり)作戦を敢行! 手持ちのギララニウム溶液をトラックに積み込み、ギララの目を基地から逸らすために猛スピードで荒野を駆け抜ける。
[FAFC基地壊滅の危機]
│
(佐野&宮本、トラックで囮作戦!)
│
[時間を稼ぎ、戦闘機が緊急発進!]
│
(ギララニウム・ミサイル一斉発射!)
│
[ギララ、全身シェービングクリームまみれ!]
│
(収縮 ───> 元の小さな胞子へ戻る)
稼ぎ出された貴重な時間! ついに大空へと舞い上がった戦闘機部隊が、ギララに向けてギララニウム・ミサイルを連射!
ドカン! ドカン! ドカン!
直撃を受けたギララの全身から、まるで大量のシェービングクリーム(あるいは洗車場の泡)のような白い泡がドバドバと溢れ出す!
泡まみれになり、断末魔の叫び(「ギャオー!」というアヒルっぽい声)をあげながら、ギララは急速に縮小。巨大な大怪獣から、元の小さな一粒の胞子へと戻っていくのだった。
人類は勝ったのだ!
小さくなった胞子合いは、二度と地球に悪さをしないよう強固なロケットに封印され、宇宙の果て(元あった場所)へと撃ち返された。
静けさを取り戻した富士宇宙飛行センター。 青空の下、佐野隊長の傍らには、リサ博士と道子の二人が立っている。
二人の美女から熱い視線を送られる佐野隊長。 映画は、彼が「リサを選ぶべきか、道子を選ぶべきか……」と贅沢すぎる悩みに頭を抱えるシーンで幕を閉じる。
……老牛が若き牛に言ったという古い寓話のように、佐野よ、お前の本当の戦いはここから始まるのだ。
【第十章】海を渡ったギララ —— アメリカ版『The X from Outer Space』の怪奇と魅力
ここで視点を少し海外へと広げてみよう。本作『宇宙大怪獣ギララ』は、海外において『The X from Outer Space』というタイトルで広く知られている。
1967年当時、アメリカの映画業界もまたテレビの脅威に晒されていた。B級映画の帝王・AIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)は、テレビ市場に殴り込むべく「AIP-TV」という子会社を設立。テキサスの映画監督ラリー・ブキャナンに命じて『Eye Creatures』(1965)や『Zontar, the Thing from Venus』(1966)といった狂気的な低予算TV映画を作り出していた。
しかし、自社製作だけでは供給が追いつかない。そこでAIP-TVが目をつけたのが、日本から輸入された特撮映画やアニメであった。
『ジャイアントロボ』(Johnny Sokko and His Flying Robot)、『怪獣大戦争』(Godzilla vs. Monster Zero)、『ゴジラの息子』(Son of Godzilla)……そして、我らが『宇宙大怪獣ギララ』である!
海外版『The X from Outer Space』は、劇場公開を経ずに直接テレビ放映された。吹替を担当したのは、東映や東宝映画の海外吹き替えでおなじみの「ティトラ・スタジオ(Titra Studios)」の熟練声優陣だ。
海外版(AIP-TV版)における見どころと疑問点
筆者はオリジナル版の凄まじさを知る者だが、海外版のカットや音響の編集もまた一興である。
海外の観客が特に度肝を抜かれたのは、音楽(サウンドトラック)だ。
いかにも昭和の怪獣映画らしい重厚なオーケストラ……ではなく、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスを思わせる軽快なエキゾチカ・ジャズやラウンジ・ミュージックが、怪獣の破壊シーンで容赦なく流れる! 海外の視聴者は「これはレス・バクスター(※アメリカのエキゾチカ音楽の巨匠)のレコードを勝手に流しているのか!?」と錯覚したという。
また、ギララが初めて地球に姿を現した直後、画面は富士宇宙飛行センターの会議室へと切り替わり、加藤博士がシリアスな顔でこう告げられるシーンがある。
「加藤博士! 東京が完全に壊滅(消失)しました!」
……えっ!? 東京の破壊シーン、全部オフスクリーン(画面外)で処理されたの!!??
怪獣映画を観に来た観客が最も楽しみにしている「大都市の破壊」が、一瞬のセリフだけで片付けられそうになるこの戦慄の瞬間! (※安心してください、その後にちゃんとギララが街を壊すシーンがたっぷりと挿入されます)。
しかし、二本松監督が「怪獣の破壊」よりも「酒を探す旅」や「メロドラマの泥沼」にカメラを向けがちである事実を考えると、海外の観客が「おいおい、俺たちは怪獣を見に来たんだぞ!」とスクリーンに向かって叫びたくなる気持ちも、痛いほど理解できるのである。
【第十一章】『宇宙大怪獣ギララ』が遺した文化的インパクトと評価の再構築
さて、ここまで本作の突っ込みどころと狂気を愛を込めて解剖してきたが、我々は最後に、映画『宇宙大怪獣ギララ』の歴史的価値を正当に評価しなければならない。
本作は単なる「失敗作」でも「B級映画」でもない。これは1960年代ポップカルチャーと、松竹という老舗スタジオの挑戦精神が融合して生まれた、唯一無二のキッチュ(Kitsch)・アートなのだ!
東宝が「重厚なSFと社会批評」を極め、大映が「子供たちのヒーロー」としての怪獣を確立した中で、松竹の『ギララ』が提示したのは「徹底的なポップ&モダン&ナンセンス」という第三の道であった。
ギララの洗練された(?)シルエット、宇宙船のミッドセンチュリーデザイン、そして全編を包み込むラウンジ・ジャズの多幸感。これらは21世紀の今日において、レトロ・フューチャーの傑作として世界中のカルト映画ファンから絶大な支持を集めている。
海外のカルト映画コミュニティやレビューサイト(Letterboxdなど)を開いてみたまえ。ギララは今なお、世界中の映画ファンから「史上最も愛すべきカルト怪獣(The Most Adorable Kaiju Ever)」として熱烈なラブコールを受け続けているのだ!
2008年、川野浩司監督によって『ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一髪』というまさかの続編(パロディ映画)が作られたことからも、ギララというキャラクターが持つ不滅の生命力が窺い知れるだろう。
【終章】銀河の果てへ——ギララよ、永遠に!
映画『宇宙大怪獣ギララ』。
それは、1967年という映画の変革期において、情熱と迷走、巨額の予算と手探りの技術、そして泥沼の恋愛ドラマとアルコールへの愛が奇跡的なバランスで結実した、映画史に咲いた一輪の徒花(あだばな)にして輝ける大輪の花である。
もし君が今、日常の鬱屈したリアリズムに疲れ、理路整然としたつまらない映画に飽き飽きしているのなら、迷わず『宇宙大怪獣ギララ』のディスクをセットするがいい。
そこには、宇宙の闇を切り裂くアッパーなジャズがあり、火星を目前にして酒を飲みに行く最高の男たちがおり、そして何より、全身を泡まみれにしながら愛らしく暴れ回る、あの大怪獣が待っている。
宇宙からやってきた恐るべき(そして世界一キュートな)大怪獣ギララ。 我々は君の雄姿を、その不滅のステップを、決して忘れることはないだろう!
ギララよ、永遠に! 宇宙の果てで、また会う日まで——!
【作品データ・スタッフ&キャスト】