コンヴィチュニーの芸術
ショスタコーヴィチ:
交響曲第11番ト短調Op.103『1905年』
シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1959年(モノラル)
フランツ・コンヴィチュニー(指揮)
【コンヴィチュニーの芸風】
コンヴィチュニーの音楽は、自身の若き日のオーケストラ楽員や弦楽四重奏団員、教育者としての経験に加え、オペラの練習指揮者から叩き上げた指揮者としての揺るぎのない自信が反映されたものと思われ、実際に聴いてみると、楽譜に対して客観的に誠実に取り組んでいるものが多く、ゆったり目のテンポでスケール大きく描きあげられた演奏は、オケの音色もあって実に魅力的。
当時のコンサート・オーケストラは大編成での演奏が主流だったため、存在感ある弦楽サウンドもコンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管弦楽団の特徴ともなっており、ベートーヴェンの大フーガやモーツァルトのアダージョとフーガ、そしてブラームスの交響曲第1番など、重量感ある仕上がりが独特の味わいを醸し出しています。また、ライプツィヒ放送交響楽団を指揮した演奏でも同様の傾向があったことが確認できるほか、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏では、さらに柔軟な魅力もあったことがよくわかります。
【コンヴィチュニー・プロフィール】
ヴァイオリンとヴィオラを学んだフランツ・コンヴィチュニー[1901-1962]は、22歳から24歳までの3年間、ライプツィヒ音楽院で勉強しながらライプツィヒの歌劇場やフルトヴェングラー時代のゲヴァントハウス管弦楽団でも演奏経験を積んでいます。
卒業後はウィーンに移り、フィッツナー弦楽四重奏団のヴィオラ奏者として活動する一方、フォルクス音楽院で教職に就いて、ヴァイオリンと音楽理論を教えて過ごしていました。
しかし26歳の時には、コンヴィチュニーは指揮者になることを決意し、まずシュトゥットガルト歌劇場の練習指揮者の職を得ます。下積みを経て頭角をあらわしたコンヴィチュニーは、3年後には同劇場の首席指揮者に就任、32歳でフライブルクの音楽総監督となり、その後、フランクフルトの音楽総監督として劇場と演奏会を指揮、戦後はハノーファーとハンブルクで指揮し、48歳のときにゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者に就任。60歳の時、演奏旅行先のベオグラードで「ミサ・ソレムニス」のリハーサル中に倒れて亡くなるまで同楽団と充実した活動を展開。
その間、52歳から54歳のときにはドレスデン国立歌劇場の音楽監督とシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者も兼任、54歳からはベルリン国立歌劇場の音楽監督も兼ねるという東ドイツ最高の指揮者として大活躍していました。