「鳥取之城主 宮部左近太夫  石水之一流ヲ定手法」と冒頭に記された、華道の秘伝書。
鳥取城主をつとめた宮部氏は、豊臣秀吉につかえた宮部継潤(1528~1599)と、子の宮部長煕(1581~1635)がいる。
親子とも左近太夫を称した形跡はなく、また宮部氏が華道の流派を興したことは知られていない。
したがってこの秘伝書は、何者かが宮部氏に仮託して作成した華道書と思われる。
宮部長煕は1600年、関ケ原の戦いで西軍にくみして鳥取城主を改易となり、盛岡藩南部家に預けられ蟄居、そのまま盛岡で没する。
宮部長煕は改易時でも20歳だったため、年齢的に見て、左近太夫は父の宮部継潤を指していると思われる。

【サイズ】18×92cm