珍品 激レア 拳聖ピストン堀口VS菊地五郎 昭和13年 大会広告 ボクシング パンフ 拳闘

商品説明

昭和13年11月8日・浅草国際劇場 縦:約27㎝×横20㎝

年代:1938

状態:【並上】 綴じ込み跡・少角折れ・経年による劣化あり  

ファンの投票により決定せる豪華拳闘大試合 連戦連勝の菊地五郎 対 リングの王者ピストン堀口 十回戦プログラム 不二拳闘倶楽部 リングサイド5圓 普通席1圓 裏面:ピストン堀口・強壮精力剤ネオスAの広告

1932年に上京し、日本拳闘倶楽部へ入門した。自己流でトレーニングをして、上京からわずか半月後に初試合を行いKO勝ちを収める。
翌1933年にプロデビュー。その後、かつての名選手岡本不二の指導を受け、デビューから5引き分けを挟んで47連勝という驚異的な記録を残す。
その間、B・D・グスマンを破り東洋フェザー級チャンピオンまで上りつめるなど、
世界クラスの実力を持っていたが、太平洋戦争の影響もあり世界王座を獲得する機会には恵まれなかった。

特に、1941年5月28日に両国国技館で行われた笹崎戦は日本ボクシング史上「世紀の一戦」と呼ばれるほど有名で、
この試合に勝利して以降は「剣聖」宮本武蔵になぞらえて「拳聖」と称されるようになった。

対戦相手をロープに追い詰めての休まぬ左右の連打を得意とし、「ピストン戦法」と呼ばれた。その無類のスタミナは、10分間連打でミット打ちを続けてなお息切れ一つしなかったという。堀口の連打が始まると「わっしょい、わっしょい」の大合唱が起こる程の人気であった。

現役引退から半年後の1950年10月24日午前0時過ぎ、東海道線の線路上を平塚方面から茅ヶ崎方面へ歩いている処を列車に撥ねられて轢死。泥酔して自宅に近い下車駅(茅ヶ崎)を寝過ごしてしまい、線路沿いを歩いて帰る途中だったといわれている。

墓は茅ヶ崎市内の海前寺にあり、墓碑銘に「拳闘こそ我が命」と刻まれている。

ご入札前に自己紹介をご覧ください