新書です。 きれいなほうです。
多くの人たちに読み継がれ、いまだ謎の多い歎異抄。それどころか読めば読むほど謎が深まる、それでいて、一度取りつかれると、もうそこから離れられない不思議な魅力を持つこの希有の書をあらためて読みとく。書き下ろしエッセイに、五木「私訳」、原文、対談、資料を加えて構成。
なぜ、いま、『歎異抄』なのか(著者のことば)
『歎異抄』には、数多く、というより、数限りない入門書や解説書があります。それぞれ真摯な思索と、感動にみちた本ばかりです。
しかし、肝心なところが、どうしてもわからない。たぶん自分に問題があるのだろうと諦めながら、いまひとつすっきりしない。まま、日を重ねてきました。
『歎異抄』には、人の心をぎゅっと素手でつかむような魅力があります。しかし、くり返し読むたびに、わからなくなってくる不思議な本でもあります。
一度そのあたりを正直に検討してみたい、と考えたのが、この文章を書くことになったきっかけです。