(慶長19年 1614年)11月18日付、木村長門守重成の感状の写し。
高松内匠頭(高松久重)に宛てて、大坂冬の陣の鴫野の戦いおける、一番槍の武功を賞賛している。
高松は、鴫野の戦いによって「七人の高名」の一人に加えられた人物。木村重成の指揮下で戦ったが、大坂落城後は浪人して、伊勢桑名藩・松平家に召し抱えられた。
【文書の内容】
昨日、帰還しました。
先ほど八尾に進軍するようにお頼みした時、「六人の衆」が(あなたの一番槍の手柄について)話してくれました。
あなた(高松内匠頭)が一人で乗り込んで、周辺を焼き払ったという話を、今日くわしくお聞きしました。
ご自分の手柄を隠し、六人をお引き立てになったことは、大人しき御心(配慮がある御心)であり、感心しました。
またお会いする機会をお待ちしています。
風呂の用意を命じてあります。
(追伸)なお、自ら手を下してお働きになったとのこと。あの場所(八尾方面?)は、思い通りにならないと言わざるを得ません。
※解読は参考程度。
【解読文】
(端裏書)
「是ハ長門守殿自筆也
キ なかと
高たくミ殿
人々」
(尚々書き)
尚々、其身手を下シ
被働候、彼所任本意かたし、
けに申計候、
きのふ回返いたし候、
さいせん八尾之事
頼遣候節、六人之衆被
申候、貴様一人乗込、
御焼払候よし、今日
くわしく承候、御自分
之手柄をかくし、六人
を被引立候段、おとなし
き御心、入かんニたく申候、
後刻待入候、風呂申
付候、恐惶謹言、
霜月十八日 重成判
・端裏書に宛所の「高たくみ殿 人々」、発給者の「キ なかと」という記載がある。
・「高たくみ」は「高松 内匠頭」、「キ なかと」は「木村 長門守」の略。
・端裏書には「是ハ長門守殿自筆也」という後世の注記があるが、この文書は自筆原本を写したもの。
・月日が霜月十八日(11月18日)と書かれているが、実際の鴫野の戦いは11月26日におこなわれており、原本の「二十八日」を「十八日」と誤写したものと思われる。
・木村重成が11月28日、高松に宛てた感状は写本が伝来しているが、原本は行方不明になっている(「東京大学史料編纂所データベース」参照)。