フラッシュ撮影フラッシュ撮影フラッシュ撮影フラッシュ撮影日本貨幣博物館古和同様No53との透過重合日本貨幣博物館古和同様No53との透過重合日本貨幣博物館データ(赤線がNo53)日本貨幣博物館データ(赤線がNo53)同の口が左に寄り、開が隷開同の口が左に寄り、開が隷開表面の状態表面の状態表面の状態表面の状態表面の状態表面の状態参考文献発見:貨幣博物館解題より参考文献発見:貨幣博物館解題より参考:貨幣博物館収蔵古和同様参考:貨幣博物館収蔵古和同様
謎の和同開珎 古和同様隷開 未鑑定

日本書紀に記載されている和同開珎関係の記述を見てみます。
708年 銀銭発行 その後銅銭発行
709年 銀銭の私鋳を禁じる
710年 銀銭の使用を禁じる
716年 白鉛の所有を禁じる
721年 銀銭、銅銭、銀一両の交換比率を公定

以上の記述からの疑問点
709年に銀銭の私鋳を禁じたが、銅銭の私鋳はOKだったのね?
710年に銀銭の使用を禁じたが、721年でも銀銭と銅銭を交換比率に従って交換できたのね?
つまり、銀銭がまだ流通していたのね?
重要ポイント
716年の白鉛の所有禁止って、どういうこと?
和名抄によれば、白鉛とは、上代において錫のことです。
錫は銀白色の金属で、銅との合金は青銅です。
この青銅は、錫の割合が増すと、銅色が薄くなり銀白色になります。
古代の青銅鏡は、この錫の含有率が高く、然るに鏡のように輝きます。
709年銀銭の私鋳を禁じたのは、銀銭もどきの銀白色の青銅銭が大量に密造されたからではないでしょうか?
そしてそれはその後も横行したので、原料の錫の所有を禁じる対策までうったのではないでしょうか?
745年には、私鋳銭者を鋳銭司で使役させるという奥の手まで導入しています。

今回出品の和同開珎は、まさに錫銀銭もどきの青銅銭だと思います。
銀銭は、銀の原価よりも高めの価値が設定されていましたが、これを錫銀銭で鋳造すれば、うま味が何倍も増します。
鋳造技術がある豪族たちは、こぞってこの偽銀銭を私鋳したのではないでしょうか?
銅銭を私鋳しても手間はかかりますから、あまり利益は出なかったでしょう。
ですから、当時の政府は、発行1年足らずで即座に銀銭を廃止したのではないでしょうか?
今のように蛍光X線成分分析鑑定はできない時代ですから、一般民衆には銀銭としか思えなかったでしょうね。
本銭は、フラッシュのない状態では銀白色です。

和文字周辺にカケがありますが、錫の含有率が高くなるほど、固くてもろくなるそうです。
古墳時代の銅鏡が割られて埋納されていたのも、磨くと銀色の鏡面になる青銅鏡だからです。

同の口が左に寄り、開が隷開
本銭のこの特徴は、中字中様ではなく、古和同隷開になります。
和の口が欠けていますので、その特徴については判断できません。


未鑑定品に大金を出す人はいないでしょう。
しかし、私の立場で申しますと、自慢の品を手にするまでに、お金だけではなく、30年以上をようしました。
不勉強の衝動買いや偽鑑定書にやられたこともありました。それでも、古物堂のおっちゃんは、みんないつもニコニコ。惚れたら買ってしまう性分を見抜いていらっしゃる。穴銭も、出会いなんですよ。たまたま、そこで出会ったことが、大切なのです。

日本貨幣博物館データNo53 古和同様隷開 24.47mm 2.72g
本銭 24.3mm 2.5g
本銭は、丁寧に錆の除去がなされており、そのせいで若干No53よりも外径及び重さが少ないです。
拡大写真でわかるように、表面の劣化のせいだと思われます。

本銭のように、同の口が左に寄っている和同開珎は、非常に珍しいです。
ヤフオクでは、いまだ見かけたことがないです。
また、ロダンの考える人のような見事なブロンズ色です。