平成10年5月25日に、神奈川県民小ホールで行われ

た第122回県民ホール寄席「立川談志独演会」のプログ

ラムである。


 このプログラム原稿は、前年(1997)に初めての食道ガ

ン手術をし、以後晩年はガンとの戦い、ガンとともに生き

た闘病の幕開けであった。


 実は前年の9月10日、同114回独演会で談志はこう

独白した。「あんた方、もしかすると今夜で見納め、聞き

納めになるかもしれないよ・・・、実は食道ガンなんだ」

そう、冒頭で口火を切ったのだ。9月1日に、家元は都内

専門病院で、レントゲン、CT、MRIなどの精密検査を

受けた。一週間後の結果で「食道ガン」と断定された。当

初は「白板症、癌もどき」と自嘲。16日に内視鏡手術が

決まった。県民小ホールの独演会は、その騒動の渦中に行

われた独演会だったので、各種スポーツ紙の記者が押し寄

せていた。翌日、病院関係者や談志の親しい落語家仲間へ

記者たちは総力取材に走った。


 ハマの独演会から一日置いて、9月12日のスポーツ紙

の朝刊は、「立川談志、食道ガン!」「談志、高座でガン

告白!」など、一面トップを飾った。談志は入院し16日

にガンの摘出手術を決行。翌日、談春から私の家へ突然電

話が入った。20日に赤プリで行われる「立川談春真打昇

進披露パーティー」の件だった。


「例の喬太郎と中学で同級生だった『アエラ』の女性記者

さんも連れて欲しい」

「いいよ。ところで、家元は来れそうなの?」

「まだ入院中だから、わからねえ! でも元気みたいだ」

「じゃ、今からすぐに電話しておくよ」

 当日、ホテルへ女性記者と一緒に参加した。車椅子に乗

った談志師匠が、談春に押されて登場した。スポットライ

トを浴び、会場は大歓声の坩堝となった・・・。


 今回、出品した第120回県民ホール寄席「立川談志独

演会」プログラムには、その9カ月前の一部始終が記録し

てある。著名なノンフィクション作家の佐野眞一は「記憶

というのは、記録に残さないと後世に残らない」と断言し

ているが、そういう意味では貴重な楽屋裏まで記載された

プログラムだ!


【当日の演目】

●「子ほめ」  立川国士館

●「代書屋」  立川談志

   中入り

●「親子酒」  立川談坊(故・立川文都)

●「つるつる」 立川談志


【状態と発送に関して】

 今から24年も前のものだが、保存状態はよく「美品」

である。送料は当方が負担サービスいたします。