






■牢人状・今川状・腰越状(正徳元年以前・鱗形屋板)往来物
【判型】大本1冊。縦273粍。
【作者】不明。
【年代等】江戸中期(正徳元年以前)刊。[江戸]鱗形屋孫兵衛板。
【備考】分類「往来物」。『牢人状・今川状・腰越状』は、鱗形屋孫兵衛板の「牢人状」に、同じ板元の「今川状・腰越状」(頭書三階板)を合本したもの。裏表紙見返しに「正徳元年」の書き入れがあり、それ以前の刊行(元禄頃)と思われる。収録順に「今川状・腰越状」は本来この2本合本の形で刊行されていた可能性が高いが、それぞれに刊記を付す。それぞれ本文を6行・無訓で記し、頭書を2段に分けて、上段に「色紙短冊寸法・同書様」「苗字尽」を、中段に「今川状」「腰越状」の由来と本文要語解および図解を載せたもの。この頭書を「三階板」と呼び、元禄期以降の往来物に見られる編集形式を取り入れたもの。「今川状」の内容は、今川貞世が弟(首題に「愚息」とあるが子息ではない)の仲秋にあてた教訓で、「一、不知文道而、武道終不得勝利事」で始まる23カ条と後文から成る往来。文武両道を強調する室町初期を代表する武家家訓とされる。また、「腰越状」の内容は、『古状揃』所収の古状中、最も古く確実なもので、平宗盛父子を捕らえた義経が鎌倉に入ろうと腰越に到着したところ、先の八島の合戦での逆櫓をめぐる口論で恨みを持つ梶原景時が源頼朝に讒言し、頼朝の怒りを買ったことに対し、自らの功績を列挙し、兄をないがしろにする気持ちのないことを大江広元宛てに切々と述べたもの。さらに「牢人状」は、牢人が書いた教訓状の形式で、牢人が困窮しきった有様を記し、それというのも、身の修養を怠って忠孝に励まず、戦場で名を挙げる活躍をしなかったなど「過去の罪業」によるものであるから、これからは心を入れ替えて来世の菩提を祈るようにと諭したもの。
★原装・題簽付(一部破損)・状態並み(本文余白部やや破損補修)。稀書(全国に所蔵数カ所(国文学研究資料館DB))。