




■〈首書絵入〉手習状并含状[初登山手習教訓書・義経含状]宝永6年以前 稀書往来物
【判型】大本1冊。縦268粍。
【作者】不明。
【年代等】宝永6年以前刊。刊行者不明。
【備考】分類「往来物」。『〈首書絵入〉手習状并含状[初登山手習教訓書・義経含状]』は、収録順に「初登山手習教訓書(手習状)」と「義経含状」の本文を6行・付訓で記し、頭書に本文要語の解説や絵解きを施したもの。まず、「初登山手習教訓書(手習状)」は、手習いの心構えを合戦に臨む武士の心構えになぞらえ、「文武二道に達せし者、名を天下に揚げ、徳を四海に顕し、才智芸能故、上古末代の名人の聞えあるべし」と結論づけた教訓。成立年代は不明だが、遅くとも室町末期までには編まれていたと考えられる。続く「義経含状」の内容は、衣川において討死を覚悟した義経が、幼少の頃、清盛によって遠国に追放され、艱難辛苦の末、平家追討の大役を果たしたが、梶原景時の讒言によって今このような不運を受けることになったという想いを、兄頼朝に向けて述懐したものである。最後は、梶原の首を手向としてくれれば、今生後生の恨みもないと締め括る。わずか2丁程度の分量のため、本往来のみの単行刊本はないと思われ、『弁慶状』と合冊される万治元年板・山本長兵衛板のような例外を除けば、基本的に『初登山手習教訓書』との合冊であり、その最古本は寛永19年・安田十兵衛板と思われる。なお、底本表紙に「宝永六年」の書き入れがあるため、その頃の刊行と思われる。
★改装・題簽付・状態並み。稀書(全国に所蔵数カ所(国文学研究資料館DB))。